2006 |
06,19 |
«幸福論»
総セイ。
この季節は、赤い記憶。
旧・小噺部屋から移設しました。
この季節は、赤い記憶。
旧・小噺部屋から移設しました。
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幸せという言葉は
なんとありふれていて
なんと曖昧
幸福論
「神谷さーん。お善哉食べに行きませんか?」
「……またですか沖田先生?」
「またとはなんですか。今月はまだたったの……ひい、ふう、みい、よ……」
「それが“たった”と言うんですか」
呆れた口調に、ぷうと頬を膨らませて拗ねる先生はまるで童のよう。
「いいじゃないですか、お善哉は寒い季節の風物詩ですよ? 暖かくなったら美味しさも半減しちゃうんだから」
「はいはい。でも今日は五杯までですからね!」
「ええ、そんなっ。神谷さんせめて七杯~っ!」
そして二人並んで歩くいつもの道。
いつもいつも与えられる温かな幸せ。
今日は年が改まって、初めの望月。
朝からお洗濯に励まずにはいられなかったこの天候なら、宵には見事な新円が天に宿るのだろう。
まんまるく膨らんだ、満ち足りたお月様。
これを過ぎれば、下り坂だ。
「神谷さん、箸が進んでませんね。仕方ないなぁ、お餅一つ貰ってあげましょう」
するりと伸びてきた箸は、それを防ぐ間もなく、私のお椀から薄い小豆色を纏ったもっちりとした白い塊を掬い出す。
「……ああっ?! お餅はいつも後半の楽しみに取っておいてるのにっ!」
「そんな事知ってますよ」
さらりと意地悪なことを言い放った先生は、知っていると言った癖に私の楽しみのお餅をぱくりと自分の口に放り込んでしまった。
恨みをこめて睨むと、にっこりと無邪気な笑顔。
「さて、これで楽しみを取り戻すにもう一杯食べないとなりませんよね。というわけで、すみませーん、お善哉二つ追加でー」
「勝手に注文なさらないでくださいよっ。私もうお腹一杯……」
「残ったら私が食べてあげますよ」
…………確信犯か…っ。
沖田先生の手元には、空のお椀が既に四つ積まれていた。
意地になって新しい善哉を掻き込む私を、先生は恨めし気にじとっと見詰めていた。
案の定、帰り道は餡子が喉まで一杯。
「……気持ち悪い」
「んもー。だから私にくれちゃいなさいって言ったのに」
先生は結局、「お善哉は約束どおり五杯にします」とみたらし団子を十串も追加で食べた。
まったくもって私のした事は無駄だった訳だ。そんな擦れた感情がますます胸を悪くさせる。
「うっぷ……」
「あ、ちょっと神谷さん! しっかりしてくださいよ~…」
しゃがみこんだ背中を、大きな掌が摩ってくれる。
重く不快な胸に、ぬくもりがほっこりと湧き上がった。
こんな優しい掌を、もう一つ覚えている。
その掌も、こんな風に温かな気持ちをくれたっけ。
「……神谷さん?」
先生もしゃがみこんで、私の顔を覗き込んでいた。
「顔色が悪いですよ。本当に大丈夫ですか」
小さく頷いたけれど、信用されなかったらしい。くるりと後ろを向いた先生の、大きな背中が目の前に広がる。
「ほら、神谷さん」
「……大丈夫です、一人で歩けます」
「屯所までは行かないから心配しなくていいですよ。そこの河原で少し休みましょう」
ほら、と後ろに回した手で招かれる。それでも踏ん切りつかずにいると、肩越しに見える先生の顔が苛立ってきた。
「いいから。組長命令です」
……もう仕方ない。諦めて先生の背に身体を預けた。
こんな子供っぽい意地を張る先生も、困ってしまうけれど、好き。
こんな甘えた行為を拒否しきれなくさせてくれるから、困ってしまうけれど、大好き。
体いっぱいで感じる先生のぬくもりが、私の中に沁み込んで、心をほかほかにしてしまう。
おんぶしてもらうのは、子供の頃から好きだった。
迷子になったとき。
転んだとき。
兄上がいつもそうしてくれて、家までの道を辿った。
あの大きな掌も。
いつも私を安心させてくれた、兄上の掌の温もりと同じ。
……先生がしてくれる今は、そわそわするようなむず痒さも伴うけれど。
けれど。
伝わる温もりは。
しあわせは。
同じ。
いつも手を伸ばせば、そこにある。
いつも降り注ぐように与えられている。
ありふれたもののように、常に身近にある。
――それは錯覚だと分かっているけれど。
あの掌も、背中も、もうないのに。
別の掌と、背中で、あたたまる心。
兄上。
あなたがいないのに、幸せなんです。
幸せなんて兄上と一緒に死んでしまったと思っていました。
少なくとも、あのときの幸せは、死にました。
なのに。
この人の背中で、兄上を思い出しています。
幸せな気持ちで、思い出しています。
おかしいですか。
許されるのでしょうか。
兄上がくれる幸せも、沖田先生がくれる幸せも、それぞれ特別なのに、同じなんです。
こんな事を考えるのは、月が満ちたからでしょうか。
月に合わせて下り坂に入る、私のからだ。
しかも二月に向かう坂だから。
二月の記憶は、一面の赤。
赤々と広がる焔と、鮮血と。
私の幸せを殺した、赤い赤い二月が、もうすぐ。
<了>
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吐き出せないまま積もりに積もった妄想がいっぱいあって困っている。
吐き出せたらいいなぁと思っている。
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